神戸地方裁判所 昭和23年(ワ)367号 判決
原告 浜口房義
被告 衣笠順三
一、主 文
被告は原告に対し金十万円とこれに対する昭和二二年一二月一三日から支拂済まで年六分の割合による金員とを支拂わねばならない。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告において金三万三千円の担保を供するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項通りの判決と、仮執行の宣言とを求め、その請求原因として次の通り述べた。
被告は、船舶の賣買等を業としているものであるが、原告は訴外山崎陽彦こと山崎三九郎の紹介により、昭和二二年一二月一〇日、神戸市生田区海岸通五番地商船ビル五階五〇五号室の被告の営業所で、被告との間に、械帆船千代丸、総トン数九四トン六〇、燒玉発動機、公称六七馬力、属具完備、有姿の儘を、同船が九州から熊野沖を経て名古屋港まで石炭輸送をするのに適應する堅牢な船であることを契約の主要條件として、金六十二万五千円で買受ける契約をし、即日右代金の内入金として金十万円を被告に支拂い、残代金五十二万五千円は本船及所有権移轉登記に必要な書類の受渡と同時に支拂う旨約した。そしてこの取引は、被告が契約成立まで千代丸の所在を原告に告げなかつたので、原告は同船を点檢することはできなかつたが、被告が同船は堅牢な船で、即時運航可能の状態にあり、積載能力も一六〇トンであるが、金十万円を支出して修繕するときは優に一九〇トンの積載能力があり、機関は公称六七馬力で、廣島吉田鉄工所製造にかかるもので、充分原告の前記使用目的に適應する旨言明したので、その言葉を信用して右契約をした次第であるが、それと同時に、もし万一千代丸が石炭輸送船として熊野沖航行に適しないときには、原告は右賣買契約を解除し得る旨特約した。ところが翌一二月一一日、原告が門司港において、千代丸を点檢したところ、同船は被告の確約したところと著しく相違し、非常な老朽、弱体船で、百余トンの積載能力しかなく、又即時運航可能の状態になく、到底原告の前記使用目的に適應する船でないことが明かとなつた。すなわち、同船は(イ)外板の継目が非常に多く、重量物を積載し、荒波に遭うときは、上下動のため継目が緩み、浸水の危險性あり、(ロ)外板の間隙多く積載量を増すに從つて必然に浸水も多くなり、(ハ)内部船底の縦通材が細く悪質で外海航行には危險であり、(ニ)現に百余トンの積載能力しかなく、費用十万円程度の補修で一九〇トンに積載能力を増すことは絶対不可能で、そうするためには少くとも五十万円程度の失費を要し、(ホ)当時フライホールに故障があり、即時運航可能の状態になく、(ヘ)機関は公称六七馬力の出力なく、又廣島吉田鉄工所製造のものでもないことが明かとなつた。そこで原告は翌一二月一二日、被告の前記事務所において、前記解除権留保の特約に基き、被告に対し本件千代丸の賣買契約を解除する旨の意思表示をし、内入代金十万円の返還を求めたが、被告は言を左右にしてこれに應じないので、原告は被告に対し、右十万円とこれに対する遅延損害金として、契約解除の日の翌日である昭和二二年一二月一三日から支拂済まで商法所定の年六分の割合による金員との支拂を求めるため、本訴に及んだ。仮に、原被告間に本件賣買契約の解除権の留保の特約があつたことが認められず、從つて、原告の前記契約解除の意思表示が効力なきものであるとしても、被告は千代丸を賣買するにあたつて、同船が事実、石炭輸送船として外海航行に適應しない船であるにも拘らず、宛も同船の型態、構造、性能が前記のように、契約目的に適合する旨の眞実に反する事実を告知して、原告をそのように信用させ、本件賣買契約を締結させ、その代金の内入として金十万円を被告に交付させたものであるから、原告は予備的に昭和二二年一二月一二日、被告の右詐欺行爲を原因として本件賣買契約を取消したから右内入代金十万円の返還を求めるものである。被告は訴外泰通産業海運株式会社の代理人として原告と本件賣買契約を締結したものであると主張するが、原告は、同船が右訴外会社の所有に属するものであることは、右契約締結当時全然知らなかつたし、代理人なればこの種取引において普通用いられるのが例になつている代理委任状も用いられなかつたので、原告は被告を賣主と信じて取引したのであるから、被告は本件賣買代金の返還につき当然責任がある。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次の通り述べた。
原告主張事実中、原告がその主張の日被告を相手として、機帆船千代丸を目的とし、同船が石炭運搬用として熊野灘の航行に適すること若し然らざる場合は買主原告において契約を解除し得る旨の特約があつたとの点を除き原告主張のような賣買契約を結び、契約成立と同時に内入金十万円を支拂つたこと、原告がその主張の日門司港で右千代丸を点檢した結果被告営業所においてその翌日被告に対し右賣買契約を解除する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余の原告主張事実はこれを否認する。被告は元來船舶賣買の仲介を業とするもので、本件千代丸の賣買についても原告の懇請により、原告と、同船の所有者である訴外泰通産業海運株式会社との間を仲介したのであつて、その際被告は訴外賣主会社の委任により同会社の代理の衝に当つたにすぎない。從つて右内入金も全部賣主会社に引渡した。從つて賣買契約の当事者でない被告に対する本訴請求は失当である。仮に右主張が認められないとしても、本船はいわゆる外海造りの堅固な船で戰時中重量品輸送船としての認定を受けて就航していたもので、外海の航行に適應するものであることは業界周知の事実である。從つて原告の本件賣買契約の解除は不法であつて効力なく、むしろ原告の債務不履行によつて本件賣買契約は解消するに至つたものであるから、被告は、違約者は違約金十万円を支拂う旨の約旨にもとづき内入金十万円をその違約金に充当する。よつて原告の本訴請求は理由がない。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和二二年一二月一〇日、被告を相手として、原告主張の機帆船千代丸を目的として、同船が石炭を積載して熊野灘を航行するに堪える性能を有することを契約の内容とし、若しその性能がないときは買主原告において契約を解除できるとの特約のあつた点を除き原告主張のような賣買契約が結ばれたこと、原告がその内入金として即時被告に金十万円を支拂つたが、その翌一二月一一日門司港で千代丸を点檢した上、翌一二月一二日被告に対し本件賣買契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に爭がない。よつて右契約締結の相手方となつた被告が果して賣主なのか訴外泰通産業海運株式会社の代理人にすぎないかの点につき案ずるのに、成立に爭のない甲第二号証と証人山崎三九郎(第一、二回)、同浜口善次郎、同大川清の各証言と原告本人尋問の結果とを綜合すると、千代丸は右訴外会社の所有に属し、被告は右訴外会社から賣却方一切の委任を受けて原告と本件賣買契約を締結したのであつたが本件賣買契約を締結するにあたつては原告に対しそのことを予め明示しなかつたため、原告においては右事情を知るに由なく、被告が本船の処分権限を有し、本件賣買契約の賣主は被告であると信じて被告との間に本件賣買契約を締結し、即時前記内入金を支拂つたものと認められる。もつとも原告の保有に帰した甲第一号証の本件賣買契約書には冒頭賣主の傍に「代」の一字が挿入されてあり、又賣主側の保有に帰した乙第一号証中には末尾の賣主欄にも被告名の肩書に賣主代と記載されてはあるが、原告の保有する甲第一号証の末尾賣主名欄には單に「賣主」とのみ記載され「賣主代」とされていない右事実に対比して考えると、乙第一号証の賣主側の保有に帰した契約書のみに「賣主代」と記載されてあるのは不合理で初からあつたか否か疑はしいし、その記載のみからは被告が代理する賣主本人が何人であるか知るに由なく証人山崎三九郎(第二回)の証言及び原告本人尋問の結果によれば右契約書はいづれも前記賣買の合意が成立し、既に内入金十万円が支拂われた後賣買の証として作成されたもので、原告はその作成の際後に認定するような解除特約を記載するか否かについては大いに関心をもつたがそれが記載されないと定つた後の右契約書の記載特に冒頭の「代」の字の如き細部には多く注意を拂はずして署名押印したためそのことに最後まで気付かなかつたことを認められる。果してそうだとすれば被告としては前記訴外会社の委任による代理人として右契約を締結する積りであつたであろうが、結局は右の事情で契約締結の際には代理人であることを相手方に示したことにならぬと認めるべきであり、本件賣買は船主たる訴外会社のためになされた商行爲であるから、被告は商法第五百四條により、代理人であることを知らなかつた相手方である原告に対し、自ら履行の請求に應じる義務があり、本件のような契約解除による原状回復についてもその責を負うべきであると解される。してみると、被告は、原告に対する関係において、本件賣買契約上の賣主としての全責任を有するものといわねばならない。
次に証人山崎三九郎(第一回)、同大川清、同浜口善次郎の各証言と原告本人尋問の結果とを綜合すると、本件賣買契約は千代丸が九州から熊野灘を経て名古屋港まで石炭を輸送するのに適應するような堅固な船であることが主要要件となつていたが、本件賣買契約を締結するにあたつて被告が代金の内入金十万円の支拂を受けるまで千代丸の所在を原告に告げなかつたため、原告は、被告の同船は金十万円も出して修理すれば百五、六十トンの石炭を積んで熊野灘を航行できると確約した言葉を信用して、同船を実地につき点檢することなく、本件賣買契約を締結し、即時被告に代金の内入として金十万円を支拂つたが、果して千代丸が前記使用目的に適應する船であるか否かにつき、些かの不安があつたので、本件賣買契約締結と同時に、被告との間にもし千代丸が石炭輸送船として熊野灘航行に適應しない船であれば、本件賣買契約を解除し、被告に対し、内入代金十万円の返還を求めることができる旨の解除権留保の特約をしたことが認められる。もつとも、原告は右特約を契約書に記載することを要求したが、被告の容れるところとならず仲介者山崎三九郎の提言により紳士協定とすることゝなつたことは前記証言や供述により明かである。普通紳士協定という場合は法律上の責任を持たせず、徳義上の責任のみを持たせる趣旨が多かろうが、本件の場合原告の千代丸買入の目的が九州から熊野灘を経て名古屋に石炭を運搬するにあり、それができなければ契約を爲した目的を達成することができない事情にあつたにもかゝわらず、船を見ずに賣買し内入金十万円を入れる不安な地位におかれていたため、かゝる解除権留保の特約を附することが内入金を差入れる交換條件となつていたこともまた前記証言や供述から明かなところであるから、被告に対する不信ともいうべきかゝる特約を書面にまで作成することを回避するために用いられた妥協的表現に過ぎないものと解すべく、單なる紳士協定という表現のみから直ちに法律上の責任を負はないものと断ずるのは妥当ではない。そして証人大川清の証言と原告本人尋問の結果とを綜合すると、原告と大川清の両名が本件賣買契約締結の日の翌日である一二月一一日門司港において千代丸を点檢したところ、同船は被告の確約した言葉と相違して、船材も悪く、例えば普通外海に出る船であれば船腹に使つてある材木は通しの一本であるのに何枚も継いであり、竜骨も細く、当時一三〇トンの石炭を積んで瀬戸内海を航行しても浸水するような老朽弱体船で、被告の云うように十万円位の補修費を投じたのでは到底原告の前記使用目的に適うような船にすることはできず、石炭輸送船として熊野灘航行に適しない船であることが認められる。証人山崎三九郎(第一回)の証言はいまだ右認定の妨げとならない。
してみると、原被告間の本件賣買契約は、原告が昭和二二年一二月一二日被告に対しなした前記契約解除の意思表示によつて適法に解除されたものと認められるから、被告は、原告に対し、さきに受領した代金の内入金十万円とこれに対する遅延損害金として、前記認定の契約解除の日の翌日である昭和二二年一二月一三日から支拂済まで本件賣買契約が前記の如く商行爲であるから商法所定の年六分の割合による金員とを支拂う義務があるものと云わねばならない。
以上の理由により、原告の本訴請求は正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九條を、仮執行の宣言につき同法第一九六條をそれぞれ適用して主文の通り判決する。
(裁判官 石井末一 西川正世 北後陽三)